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SS公開、今後の予定、近況など

更新日:2020年9月2日

毎日暑い日が続いていますね。

コロナ、熱中症等々、くれぐれもお気をつけくださいね。


「カーストオメガ 帝王の恋」のリスト限定公開のSSは、9月20日まで公開予定です。


タグ付きで感想を書いてくださった方への御礼を込めて。

お手紙をくださった方やメールで感想をくださたった方も対象です。

リスインしますので教えてくださいね。


SSのリンク先はこちらです → https://privatter.net/p/6323093



次の予定は、


9月19日発売「小説ディアプラス」アキ号

ファンタジー特集に加えていただいております。

20世紀初頭のパリが舞台の短編を書かせていただきました。

非オメガバース。

あの世とこの世を結ぶ異世界の移動遊園地が舞台です。

明治時代のお話です。

木下けい子先生のイラストがとてもとてもファンタジックで素敵なのでどうかお楽しみに。



そのあともいろいろと予定がありますので、随時、お知らせしていきますね。


さて……近況ですが……ここからあとは、犬の闘病記録です。

私が忘れないために書くだけのものなので、興味のない方は無視してください……。

楽しくない話題ですし、えぐい描写もあります。







8月8日、闘病中だった愛犬の夏姫ちゃん、通称なっちゃんが旅立ちました。

今、その名前を書いただけでも泣けてきます……。


私の家で2004年4月に誕生した4匹のわんこちゃんのうち、

1番目の空くんが昨年の10月18日

3番目の若くんが昨年の11月5日

そして末っ子のなっちゃんが8月8日に……。

2番目の都ちゃんだけになってしまいました。


なっちゃん、16才と4ヶ月……。

癌が見つかってから約半年の闘病生活でした。


なっちゃんの癌は下顎にできた上皮扁平ガンというもので、2月に気づいたときは本当に小さな小さな傷のような感じのものでした。

右側の下顎の歯茎がちょっと赤くなっていたので、歯を噛み締めて傷ができたのかな……くらいの感覚で獣医さんに行ったところ、予想外のガン宣告。


年齢的に全身麻酔の手術は厳しい上に、ガンを切除すると顔の下半分がなくなってしまう、しかも再発率も高い……ということで、薬で痛みと進行を押さえながらQOLを優先するという選択に。

その頃は、まだ本当にちょっと赤くなっているだけなので、ガンの存在もよくよくわからない感じでした。


帰宅後、すぐにネットで上皮扁平ガンのことを検索。

がんを治す方法やこうすれば奇跡が起きるみたいなのや私の苦手な怪しいスピリチュアル系のサイトとかは見つかったのですが……

どうやってガンと付き合っていくのか、どうやって最後まで闘えばいいのか、どのくらいの進行速度なのか、自分がなっちゃんにしてあげられることは何なのか、なっちゃんを苦しめないで少しでも幸せに暮らさせるにはどうすればいいのか……という、私の欲しい記事がなかなか見つからなくて……何とか見つけたブログや同じ病気の猫ちゃんのブログなどを読み、このガンはとても残酷なガンだということを認識しました。



ガンがどんどん大きくなって、そこから溶けて、腐って、血まみれになって、最後は食べられなくなって餓死する。

転移率は低く、ガンの場所以外は健康なので、食欲はある。

食欲がある分、ガンが栄養をとってしまって、ガンの進行は早い。

ガンが進行すると、下顎がなくなり、喉のあたりが痛くなって、食べ物・飲み物を受け付けられなくなる。

胃瘻をする飼い主さんも多いけれど、ガンの進行が止まるわけではない。



そのあたりを理解したのが3月末くらい。

折りしも世間はコロナコロナの毎日。

子供の頃から、細菌・ウイルス・感染症・パンデミック系の本やドキュメントや映画のオタクで、新聞で評論なども書いていたことがあり、

今までも異様なほどの抗菌・除菌マニアで、マスクもアルコール消毒薬も除菌シートもビニール手袋も元々三年分くらいあったので、焦ったり薬局に並んだりするようなことがなく、なっちゃんに集中できたのはとても助かりました。



                 その頃のなっちゃん



三月四月のなっちゃんは、少し歯ぐきが腫れているなあというくらいでしたので、本当にガンなのかな、ただの口内炎だったらいいのに……などとわりと気楽に感じていました。

といっても、

その当時はできるだけガンが育たないよう、糖質を避けようと、糖質フリーのフードを探したりしていました。

四月末の動画はまだまだそんなに気にならない感じ。

痛み止めが効いているのか、痛がる様子もなく。


少しずつ悪化し始めたのはGWがあけたころ。

常時、右下の口のあたりに血が滲んでいるような感じになり、柔らかい布製のエリザベスカラーを買って、清潔な布をそこに巻いたりして、何とか血が広がらないようにし始めました。


このころから6月末くらいまでは、どちらかというと、2番目の都ちゃんの調子が悪くて……都ちゃんが先に旅立ちそうになったことも何度かありました。

都ちゃんは、昨年秋、若ちゃんの闘病の様子が怖くて、暴れて、リードに絡まって、母が目を離したすきに息が止まるという事件がありました。

獣医さんの真前だったので、心臓マッサージで蘇生できましたが。

そんな感じなので弱り気味の都ちゃん。

6月末は完全に魂が抜けたみたいになっていましたが、都ちゃんは、その後、私の執念で何とか元気に。

都ちゃん、実は母のことを怖がっていたのですが、母に都ちゃんに好かれる努力をしてほしいとレクチャーし、さすがに母も都ちゃんが動かなくなったことにショックを受け、7月くらいから好かれる努力をするようにしてくれたので、7月半ばには都ちゃんは持ち直しました。

彼女の場合は、どこかが悪いというよりも老衰系で、生きる気力があるかどうかという感じです。

一緒に生まれたので、お別れの時期は同じくらいと、獣医さんから言われていたので、いろいろ覚悟はしているのですが。



               少し元気になった都ちゃん




さて、なっちゃんですが、5月後半くらいからついに下の歯がぽろぽろと抜けるようになってきて、いよいよ下顎の崩壊が始まりました。

ここからは物凄いスピードでガンが進行していったように思います。



都ちゃんは朦朧として、痙攣したり、動かなくなったり、

なっちゃんのガンは猛スピードで進行し、もう普通にフードが食べられなくなってきたり……。

なっちゃん、下顎が動かないので、自分で舐めることもできず、

私の膝の上で仰向けにして、口の中に一粒一粒飲み込める大きさのフードをいれる感じに。

懸命に食べようとする姿がいじらしく、

盲目の犬が仰向けで口を開けてご飯を食べるなんて……犬としては不安もいっぱいだったと思いますが、私からのものはすべて受け入れてくれて……薬も嫌いなのに、ちゃんと飲んでくれて……。


なっちゃんは、4匹の中で、一番気丈で、絶対に弱音を吐いたりすることのない、ものすごくしっかりしたわんこでした。

白内障で数年前から光しか判別できなくなっていたのですが、それも感じさせないほどで。

そんな子なので、痛みもよほどのことがない限り耐えるワンちゃんなので、こちらが気づかなければ……という毎日でした。

なっちゃんは、基本的にはフレンドリーな犬で、父とはとても仲が良かったのですが、母とは微妙な感じで、

多分、なっちゃんは自分から甘えないので、母は自分が嫌われていると思い込んでちょっと距離を置いてしまって……なっちゃんはそんな母からの距離感を敏感に察知する犬だったのでますます距離ができてという感じで……。



一方、私とは、彼女が生まれたときからラブラブで、子供の頃からいつも私のあとを追いかけてきていました。

わがままでちょっとだけなっちゃんよりもおばかちゃんで、甘えん坊の空くんに、寵愛ナンバーワンの座を譲っていましたが、それでもいつもいつも一緒で、気丈なのにちょっとだけ私には甘えていました。

結局、病気になってからは、それまで以上に私しかダメという感じになってしまって。

私も片時も離れずにいました。

病気がわかってからは、半年ぶりに美容院に行った時と母に頼まれたご進物の買い出しに行った時の二回を除き、二時間以上、なっちゃんのそばを離れたことはありませんでした。

税理士さんのところも、普段はやらないんですけど、一番時短なので原付バイクを飛ばして何度か往復し、おかげで二時間以内に戻ることができた気が。




そんな毎日でしたので、5月くらいからお仕事にだんだん集中できなくなり、どうすればいいのか……いろんな葛藤がありました。

答えが見つからなくて、本当に先がわからなくて、誰にも相談できなくて……お仕事に集中しているつもりでもいつもの五倍くらい遅くなってしまって……睡眠不足が続いていたのもありますが……

最終的にあちこちに迷惑をおかけすることになりました。

「今は看病に集中してください」と、調整してくださった各編集部のご好意に素直に甘えてしまいました。

そして今、その遅れを取り戻している毎日です。徐々に……。



なっちやんは7月になると、もう固形のものは食べられなくなりました。

ペースト状のものを流し込む形に。

水分も自分で飲めなくなったので、注射器で少しずつ流し込むような感じに。

多分、ここでこういう食べ方を受け入れることができなかったら、なっちゃんは餓死していたと思います。


私の膝の上で逆さまになって食べ物や飲み物を流し込まれるなんて……本当はとっても苦しかったと思うのですが、一生懸命、もぐもぐして、本当に健気で。その姿に私はいつも胸が痛くて、泣けてきて……。


もう楽にしてあげたら……という声もありましたが、なっちゃんが自分から食べようとしている間は、彼女が生きたいという気持ちで頑張っているのだから、その間は、どんなことがあっても介護すると決めていました。

「なっちゃん、頑張ってね。もう少しだけ頑張ってそばにいてね。一緒にいてね」と、繰り返していたのを思い出します。


だた……一緒に眠っていると、私も血塗れになり、部屋中、血飛沫が飛ぶようになったので、畳一畳分くらいの赤ちゃんサークルを買って、部屋にセットしてそこに寝具を入れて、なっちゃんのスペースにしました。

最初は、私も赤ちゃんサークルに上半身だけ入れて寝たり、なっちゃんが眠るまで入っていたりしていましたが……梅雨がひどくなって、洗濯がだんだん大変になってきたので、赤ちゃんサークルの横に布団を敷いて寝ることに。

なっちゃんが一緒に寝たがるので、サークルの手すりにぴったりくっついて寝たり……手を伸ばしたり……いろいろな感じで、できるだけ密着するように模索していました。

目が見えないので不安が多いと思ったので、少しでも不安にならないように。

ガンが破裂すると血飛沫が飛んだり血がだらだらになるのですが、そんなに大量という感じの流血ではなかったように思います。

ただ哀しかったのは、止血しようと柔らかい布や不織布でそこをおさえると、患部に触れるのでなっちゃんが痛がるというジレンマ。

神様、ひどい……と、どの神様かわかりませんが、心の中で叫んでいました。

この頃は、下の歯はなくなり、顎の骨が口の中で剥き出しになっていました。



そうした毎日……暗中模索で、どうしていいのかわからなかった感じでした。

彼女が旅立つ時にそばにいたいという気持ちもあって、眠ってもすぐに目が覚めて……なっちゃんが眠ったタイミングでシャワーに入り、長時間離れないよう、ご飯もワタミやオイシックスやお取り寄せ中心で、部屋に持ってきて食べていました。


それでも……

今、振り返ると、とても幸せでした。

一緒にいた時間の掛け替えのなさは言葉にできない。まだ気持ちの整理もできないですね。


そして……

京都の祇園祭のころになるにつれ、なっちゃん、だんだん痛みも増している感じで、弱ってきているのがわかり、7月末までもつかな……という毎日になってきました。

7月刊が出て、もっと宣伝もしたいし、書店も行きたいけど断念。

「京都はんなり〜」に重版がかかったお知らせは、この頃の、真っ暗な中を彷徨っているような私にとって、奇跡のようにありがたいお知らせでした。

クロスノベルスさんも、配本たくさん初速好調と聞き、とてもほっとしました。

無理ならサイン本をしなくても……と、担当さんは優しいお言葉をくださいましたが、創作になかなか集中ができない分、せめてこの時期にできることはやらせていただきたいと思って、なっちゃんが眠っている間に別室でやりました。



もともと、獣医さんからは、よく持って八月……と言われていたので、そのタイムリミットに向かって、なっちゃんが弱ってきているのはものすごくよくわかりました。


あ、その頃の悩みに、虫対策もありました。

同じ病気のワンちゃんの飼い主さんのブログに、亡くなる前くらいに部屋に蝿が入ってきて、がんの患部に蛆虫が湧いたという記事を読み、部屋に虫を入れない、家に虫を入れないことにものすごく力を入れるように。

あんまり私がうるさいので、母は激怒していましたが。

他にも猫ちゃんの飼い主さんもそのようなことを書かれていました。

でも獣医さんは「たとえ蛆虫が湧いても、壊死した細胞しか食べないから、そんなことになったとしても気を大きく」とおっしゃってくださいましたが……なっちゃんが気持ち悪いと思うので、小虫も入らないようにしていました。おかげで最後まで清潔を保てました。

とても辛いのに、そのようなことを書いてくださっていたブログには本当に感謝しています。ブログで、そのことを書いてくださっていた方々がいらっしゃらなかったら、多分、わからなかったと思います。心から感謝しました。



その後、

毎日毎日ガンが破裂して、血飛沫、血の塊が飛び散り、下顎がどんどんなくなってきて、血の混じった唾液で首のあたりがずっと漏れている状態に。

なっちゃん、プライドが高くておしっこも漏らさない犬で、そんな状況、とても気持ち悪いだろうと思い、とにかく清潔にしなければ……と、毎日、何度も何度も濡れタオルで拭きました。気持ちよさそうなのが嬉しかった。

そして私は一日四回着替え、なっちゃんの寝具も一日三回変えていました。


やがて8月になり、もうそろそろかなというのがだんだん分かってきました。

眼に見えるような感じで。

こういうの、どうしてなのか……わかるものなんですね。

空くんの時もわかりました……。

いつとはわからなくても、そろそろ……というのは。

だから、彼を抱っこして、彼の大好きだった散歩コースを歩いて、いろんな思い出話をしました。

空くん、そのとき、とても澄みきった顔で幸せそうにしていたのが忘れられないです。

穏やかで、優しそうで、しっとりとした表情。


なっちゃんは、

8月6日木曜の夕方くらいから、それまで一度も口にしなかった痛みで叫ぶようになってきました。

血尿も出るようになり、拭いても拭いても下からも血が。

あとでわかりましたが、転移していました。

もともとのがんによる崩壊は首のあたりまで。

食べ物ももう食べなくなり、限界が近いかな……と心の中で覚悟を。


木曜の夕方から土曜の明け方までは、何度も痛みを訴えてました。

悲痛な声の叫び、それ以外の時間はぐったり。息をしているのかどうか確認しなければならないような感じ。

それでも私が抱っこして背中やお腹をさすると、叫ばなくなるので、ずっと抱いていました。

土曜のお昼に獣医さんに見てもらうことにして、

金曜深夜から土曜の朝六時くらいまで、何度も何度も辛そうな声で泣いていて……すごく頑張っているのが分かったので、朝六時半に言いました。

この時、これまで「頑張って」と彼女に言い続けたことに、罪悪感を抱くようになって、


「なっちゃん、ごめんね、今までいっぱいがんばってって言って。そばにいてと言い続けてごめん。でも……もうそんなにがんばらなくてもいいよ。なっちゃんが辛くて、痛くてしんどかったら、がんばらなくても……いいから。私は一人でも大丈夫だから。もうここにいるのが苦しかったら、楽になっていいよ。寂しいけど、先に空くんのところに行って、私のことを待っていて。そんなにずっと遠い未来じゃないと思うから……ちゃんとなっちゃんのところに行くから、空くんと待ってて」――と。


なっちゃん……私の言葉の意味を理解したのか……その直後から……本当に、その一秒後からまったく泣かなくなりました。

そして私の膝にもたれかかって、ぐったりと眠り始めました。正しくは眠っているというより、ぼんやりしているという感じ。

うとうとと空気にたゆとうように、魂が少しずつ少しずつ抜けていくような、命が空気に溶けて、彼女が透けていくように。


その後、動いたのは、トイレに二回起きた時だけです。

プライドが高いので、一回目、七時過ぎは、自分でよろめきながらもトイレをしようとしていました。ふらふらしていたので支えましたが、完全に血尿が出ていました。

二回目はお別れの三十分ほど前。

叫びながら、私の膝の上で。

それ以外の時は、意識はあるのに、動かない。叫びもしない。泣きもしない。何も訴えない。お水は少し飲んでくれました。

何となく、その静かな、あまりにも厳かな様子に、

ああ、なっちゃんはもう旅立つつもりなんだというのが痛いほど伝わってきました。

それから、いろいろお話ししながら、暖かな濡れタオルで、なっちゃんの体をきれいにして、抱っこして……。

この辺り……あまり覚えていないのですが、

全ての光が淡く優しく、なっちゃんを包んでいたような感じだけ記憶しています。


そして……私に抱かれて旅立ちました。

話しかけながら額にキスしていたとき、彼女の胸に掌を当てていたのですが、確かに感じていたはずの鼓動が消えたのがはっきりわかりました。

朝六時半にぐったりしてから、ゆっくりゆっくり静かに、穏やかに、厳かに。

もう最後は完全に下顎は全てなくなっていました。

すごくがんばったんだとわかり、胸が痛くて仕方ありませんでした。



とても壮絶、そしてとても頑張って「生」をまっとうしてくれたなっちゃん。


今もまだその名前を呟くだけでも涙が止まらないのですが……そのうち気持ちが落ち着いたら、楽しかったたくさんの思い出を振り返りたい。

なっちゃん、生まれてから旅立つ日までずっと一緒にいてくれてありがとう。

大好き





赤裸々に書きました。

書こうかどうしようか悩みましたが、私も、闘病のブログに助けていただき、救いにもなりましたので、いつか誰か、同じ病気のワンコちゃんの飼い主さんが現れた時に少しでも何か参考になれるかもしれないので、ちゃんと記録を残しておこうと思って、まだ記憶が新しいうちに。










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